唐組Experience その4


唐の体と書いて、「唐体」読み方は、カラタイ。
もちろん、私が勝手に作った言葉。
これは、まるで唐さんのように演じるということではない。唐さんを真似るということでもない。真似っこはやり尽くさなければ本当にただの真似っこだ。10年も20年も真似っこをやりつくした先に、唐さんとのズレを発見することが出来た役者が「唐体」を習得出来るのだろう。

「久保井流唐体」
「稲荷流唐体」
「辻流唐体」
「藤井流唐体」
「赤松流唐体」

そして「唐体」を持った久保井さんが、唐さんに直接の演出を受けていない劇団員たちに演出をつける。
すると「唐体」はまた次の世代に繋がることが可能になる。
しかも、変化を遂げながら。
私は変化こそが重要だと思う。特権的肉体のことを考えると、唐体を持ちながら自分のオリジナルに行き着かなければ、「これは私なんだから」と断言出来ない。時代が移り変わるならば、人間ももちろん移り変わる。

「岡田流唐体」
「清水流唐体」
「福本流唐体」
「河井流唐体」
「福原流唐体」
「大澤流唐体」
「川口流唐体」
「加藤流唐体」

なんて。言ってみたりなんかしちゃって。
人は変わっても、唐の肉体は変わらない。
一代で終わらないそんな劇団があってもいいんじゃないかと思う。
唐さんは今は現場にはいないはずなのに、やっぱりそこにいる。
紅テントが出現して消えるのと同じように、唐さんの体を継いだ劇団員たちの中に、やっぱり唐さんがそこここにいる。ということは、唐組の演出は、演出家には出来ないのだ。他の団体が実験的に唐さんの戯曲を解体し取り組んだり、上演したりするのは、それぞれ各団体の信念と思想において自由に上演すればよろしいと思う、が、こと唐組に関しては、唐組の俳優で、「唐体」を習得した役者でなければ次の世代に受け渡すことが出来ない。という、これも、私が勝手に思う唐組の在り方に沿って考えていることだから、実際の唐組の劇団員がそう思っているかどうかは別であるし、そうでなければならないと言いたいわけではないことを明記しておかなければならない。

「唐組の役者の言葉が一番よく届く」という理由のひとつに、この「唐体」があると思う。真似っこだけをするなら、「唐風」だ。「唐体」になるために、あの稽古を続けるのだろう。「唐体」以外に重要なことがもうひとつ。
リアリズム。
唐組と真逆のように思われがちだけれど、久保井さんの演出は徹底したリアリズムだと思う。それが唐さんの戯曲の言葉と、「唐体」のインパクトで奥に隠れているけれど土台はリアリズム。リアリズムが土台にないと、「唐っぽい」だけになる。大きく表には現れないけれど、徹底したリアリズムと「唐体」が、

「唐組の役者の言葉が一番よく届く」

と、言わしめるのだと思う。

言葉など、目には見えないのによく届くとは妙な表現だ。
しかし届く。
紅テントのように、「ない」のに「ある」。
やがて、「ある」のに「ない」。

夏の終わりから冬の始まりにかけて、紅テントとともに旅をした。
振り返り辿ってみたところで、やっぱり、

「あれ? 本番……やったっけ?」

と言ってしまうけれど。
発見ばかりだった。
私自身の創作とは違う唐組の中に入って、唐さんの戯曲の中に入って、観察して考えて何かを発見すると、同時に私はわたしを発見しているのだと気がつく。こんな風に考える自分がいたのかと、発見する。

これは私が見つけた。
言ったとたんに疑問に思ってまた考える。
「ない」ものと「ある」ものを考え続けた。
それは誰が見つけた?
私だ。
では、私とは何だ?
そんなものあるのか?
いや、ない。
いや、ある。
紅テントが畳まれて、何もない空き地に風が吹く時、そんな声が聞こえる。
誰の声か分からない。

いや、あるよ。
裂いて開いて取り出しては見せられないけど、

ある。

新たな発見を携えて、そしてまた私は私の創作に没頭するのだろう。

夏の終わりから冬の始まりにかけて、
ともに旅をした全さん、熊さん、重さん、美仁音さん、沙紀さん、悟巳さん、そして、唐組のみなさんに愛と感謝を込めて。

2017・11 樋口ミユ


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