Miss ZOMBIEを見て悪夢をみる。

へんてこな夢を見ました。
覚えていないが、覚えていたとしても説明のしようがない。
夢は日中、観たもの、考えたもの、脳の処理だとか。
確実に、この間観た『Miss ZOMBIE』のせいでございますかしら。
ざーりざーりざーりざーり、床をこするタワシの音に、
ゾワゾワしながら観ておりました。
このざりざりの音をずっと聞かされたら気が狂うだろうな。
ゾンビ映画とかホラー映画とは、あまり観ません。
でも、なぜかこの映画は気になってしまい、結局観ることに。
え、なんで!?
と、突っ込むところがたくさんあったけれど、
ゾンビ映画に詳しい人には、お決まりのルールがあったりするのかしら。
感染症に近いような。
かぎりなく人間に近い。
腐敗臭はどうなのかしら、とか気になって。
すこーしだけ、ほんのすこーしだけ意思疎通も出来る。
やっぱりべっぴんだったら、ゾンビでも
男子はちょっと抱きたい気持ちになったりするもんですかね。
それとも玩具のような感じなのかしら。
なかなかそれは分からないわ、ワタクシ。
だから途中から、ゾンビ映画と思って観ないことにいたしました。
そしたら、これは、一番虐げられている人間のことなんだなと思いましてよ。
ゾンビの彼女が死んでいるのは「心」なんだなと。
心の傷は見えないから、それを体の傷として表しているんだなと。
だから何されたって、「心」が死んでいるから何も反応しない。
感じない。
怒らない。
悲しみは忘れている。
されるがまま。
それから、彼女は考えない。
だけど時間は過ぎるし、凌辱はあるし、理不尽に石投げられたり、
ナイフ突き立てられたりする現実は、彼女の中に蓄積されていくんだ。
だけど、考えない。
心が死んでいるから、もしくは考えられない。
人間が、考える時っていつだろうか。
今でしょ。
それはどうでもいいわ。

人間が考えるのは、目的がはっきりした時なんだろうか。
ゾンビの彼女が、少しずつ考え始めると、
今度はお家の奥さんのほうが、考えることをやめる。
ゾンビの彼女は、お家のおぼっちゃんに血のお乳をあげるようになる。
守らなきゃいけないものを見つけて、ずりずり足を引きずって地面ばかり見て歩いていたのに、
スっと顔をあげて歩く。
それは、確かに美しい。

でもって、お家の奥さんがゾンビを打つための拳銃振り回すあたりからもう、
怖くて怖くて。
お家の奥さんの悲鳴が、絶叫が。
この世で一番怖いのは、女の人の悲鳴です。
いつまでも耳に残る。

お家のおぼっちゃんはゾンビの彼女になついてしまって、
旦那もゾンビに夢中で、
これ、ゾンビって言うから妙な感じがするけれど、

お家のおぼっちゃんが下女になついていしまって、
旦那も下女に夢中で、
となると、そりゃ奥さん半狂乱になりますね。

半狂乱の女性は世界を揺るがすと思います。

ゾンビの彼女が、少しずつ、自分の記憶をたどっていくと、
逃げながら、彼女は草むらの中で泣く。
死んでいた「心」が動く。
モノクロから鮮やかな色彩が戻ってくる。
でもやっぱりモノクロになる。
だって、ゾンビの彼女が守りたかった自分の旦那さんと子どもは、
もういないんだもの。
だから引き金を自ら引くのです。

「心」が死ぬことは、誰にだってありえる。
それが肉体と合致することが、本来の「死」なんだ。
どう生きるべきか、という問いかけをよくする。
よく考える。
どう死ぬべきかは、考えてはいけないことだと思ってしまう。
だけどどう死ぬべきかを考えると、
かならず、
どう生きるべきかという
問いかけに行きつく。

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