さて、Aftershockを振り返ってみる。

観に来てくださったみなさま本当にありがとうございました!
ながーいながーい公演。
あんまり長いから10月9日、初日が一年前くらいに思えます。
公演が終わりに近づいたときに、出口嬢が、

「もっとやりたーい」

と言うてくれたことがとてもうれしい。
出口さんとタニ子さんの体力には驚かされます。

毎日毎日、本番が始まる前にいつも初めから続けられるところまで続けました。
受付時間が始まるまで。
ほぼ毎日、2回まわしをやっていたのです。
「そのほうが調子がいい」
と二人とも声をそろえていいました。
その日の朝から18時までの間に、みんなそれぞれ何かをやっていて。
誰かと会ったりして、いろんなことがあって、怒ったり、むかついたり、喜んだり、
そんなアタリマエの日常を18時まで過ごして、
そしてcan tutkuに来て、
「Aftershock」のチューニングを合わすのです。
週末公演だと5日間や一週間くらい劇場に入って朝から晩まで
どっぷり公演の空気に浸かるものですが、
長いと休みも入るし、別の用事も入る。
だから毎日チューニングを合わす。
そしてみんな、きちんとそれが出来る役者たちばかりでした。
切り替えと集中。
それはたぶん私もそうなのだ。
この長い公演の間に別のシナリオを一本書いて、
他の台本の改稿、次の企画のあらすじなど「Aftershock」イガイの仕事がたくさんあって、
だけど切り替える。
今目の前のことに集中する。
引きずらない。
みんな自分を律することが出来る。
そんなそれぞれが舞台の上でセッションするのです。

そのセッションを毎日観て、ふと。
とても不思議な感覚がありました。

「こんな話、私、書いたっけ…?」

確かにそれは私が書いて、4人で稽古をして、本番をやっているわけなのですが。
ふと、初めて観たもののように思えたのです。
もっと正確に言えば、それを芝居と思わずに観ていた。
どこか、そこらへんの、西成の町の片隅にある小さな壊れそうな家を
そっと覗き見しているような感覚。
彼らがテキストの言葉を言っているだとか、
配置がどうだとか、
そんな次元ではなくなった。
何日か前のブログでも書いたように、
そこに生きている人間がいる、ただそれだけ。
狭いcan tutkuで観ているこっちも息をひそめているからそんな感覚にとらわれたのかもしれない。
もちろんそれはそれで意図するところ。
テキストの冒頭にもあるように、
これは あなたの物語 でもあるのですから。

長く公演をするならcan tutku 樋口までご連絡くださいませ。
人に勧めるなら、一度自分でやってみてからだなと思ったのでやってみました。
がっつりした劇場ではないからその空間の使い方は考えないといけないけど。
週末公演と同じくらいの予算で出来ます。
ユニットより劇団の方にお勧めします。
劇団ならお手伝いの手がたくさんあると思うので。
「あそこなら長くできるよ」
とか、そんなこと言われたいものですcantutku

さて。
役者さんのことをもう少し。

タニ子さんは芸人さんなので、イベントが毎日目白押し。
イベントをやって滑り込んできて、「Aftershock」をやって、
また夜にイベントに出演しにいく、というそんな毎日。
なんてタフ。
タフガイ。
松原タニシという芸名を、松原タフ貝にすればいいとみんなに言われていました。
ニタ子は劇団タノシイという劇団をやってらっしゃいます。
年に一度、松竹の子たちでお芝居をするんだそうです。
その旗揚げ公演を観たことがあります。
ハチャメチャでとにかく面白かったのです。私はね。
「これは芝居じゃない!って怒られましたよー」
と、タニ子さんは言うておりました。
そうかもしれないけどそのエネルギーは素晴らしかった。
しかし劇団タノシイではタニ子さんのことは覚えておりません。
次に観たのがともにょ企画に客演していました。
クレーマーの役。サラリーマン。背中丸めてご飯を食べている姿。
それを観て、
「あ、弟がいる」
と思ったのです。そう思ったら即座にオファー。
きっと、誰やねんお前、と思ったことでしょう。
“あ”
と思った自分のカンを信じる瞬間があります。
すげくうまい役者さんに演じてもらったらすげくうまく演じてくれたかもしれません。
でもそれって面白いのかしら。
“あ、弟がいる”と思ったあの瞬間は外せません。

そいで今回のAftershockの何がすごいかった、このタニ子さんの変貌ぶり!
稽古をしている時に思わず、
「ねぇ、芸人やめて役者したら?」
とか言うてしまった。
帰り際に、「またAftershockする時連絡するー。次は愛媛ー!」
とまだ予定のないことを言うてバイバイしました。

さて、そして労働者諸君。
中野くんと橋本くん。
かたや食事制限をしてもずくだけを食べて8キロ痩せて、
かたや牛丼大盛りを食べ続けた。
ストイックに生きて地面はいつくばって泥水すすってかろうじて生きている橋本労働者。
反対に中野労働者のほうはつい最近までウハウハアタリマエのように生きてきたのにいきなり地面に叩きつけられちゃった。
という二人の役の捉え方の違いだろうなと思うのです。
労働者の数は無数。
労働者を演じる役者がどう読むか。
労働者に関しては、どう読むか、というよりはどう「労働」を考えているか。
それによって変わるのだと思うのです。
それは、ダブルキャストをやってみて発見です。
テキストを読むとそりゃこの役は、こうなるよな。
ではなく、労働者に関しては演じる役者の数だけ広がるはずだ。
と、思いました。
だから「腹が減った」という言葉が、この二人では全くとらえ方が違う。
祈るような「腹が減った」という橋本労働者と、
怒りに満ちた「腹が減った」という中野労働者。
走り続けた橋本労働者。
漕ぎ続けた中野労働者。
倒れなくて本当に良かったと思う。
うむー。倒れてもおかしかなかった。

そして紅一点の出口弥生。
彼女に関しては『マリィヴォロン』のふりかえりとともに。






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